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竹陵書言

竹陵書言

十分練習する


  文字の結構や運筆によく馴れて、思うままに書けるように、十分練習しておくこと。スポーツでも舞踊でも、練習に練習をつんではじめてよい結果が得られますように、書もまた最初はお手本について十分こまかく研究し、部分部分の練習をして、そらで十分記憶して、たとえ間違ってもよくできるというようになっていなければなりません。孔子の言われた「心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず」というようになっていなければなりません。

(丸山敏雄著『書道芸術』36~37ページ)


 

 何をするにも十分な練習が必要なのは言うまでもありません。練習不足や準備不足のまま本番を迎え、不本意な結果に終わってしまったという苦い経験はないでしょうか。
 書道の場合は、何度も何度も繰り返し臨書して、結構(文字の組立て、すなわち形)、運筆(筆の運び方)によくなれることが大切です。
 『秋津書道テキスト』や『秋津書道』誌の競書ページには「学習の手引き」がありますので、そこで「十分こまかく研究」してください。
 芸術部の方は競書課題あるいは古典臨書研習で取り組む古典・名筆のの特徴(「孟法師碑」は方形で隷書の筆意がある等)を把握しておくことが、臨書においてはとても大切です。
 中国の古典であれば、二玄社の「中国法書ガイド」がお勧めです。
 お持ちの手本にも最初か最後の方に、その古典・名筆の説明書きがあるので、そこで概要、特徴をまず把握してください。
 「そらで十分記憶」できれば理想ですし、それくらい何度も書き込めば自信を持って筆を持てます。 「たとえ間違ってもよくできる」というのはユーモアのある、また含蓄のある言葉です。
 孔子のように、自分の思うままに行っても、正道から外れないように、書道を通じてもなっていきましょう。

 

大胆に書く


  大胆に書くこと。手本にも周囲の人々にもとらわれず、一切の雑念を去って、無心に張りきった心で大胆に書くこと。(中略)
 要するに、その人の心の通りが表現せられるのであります。すなわち「書は心画なり」ということになってしまうのであります。


(丸山敏雄著『書道芸術』37ページ)


 

 創作の場合は、自分の思いのたけをぶつけんとばかりに書きます。臨書の場合は、お手本に似せて書くことだけを思って、ともに「一切の雑念を去って、無心に張りきった心で大胆に」書きましょう。
 また、筆を持てば特に意識をしなくても、自ずとそういう心持ちになれるのが書の醍醐味です。
 臨書の場合、練習では、書いてからお手本と見比べるのはとても大事です。
 しかし、いざ作品作りとなったら、あまり細かいところにまではとらわれず、手本より上手に書こうという気概を持って大胆に書きましょう。
 手本のようにはとても書けないと縮こまって書くよりも、手本より上手く書くんだと思って臨んだ方が良い書が書けます。その気概が大切なのです。是非実践してみてください。
 また、周囲の人々にとらわれるのもよくありません。
 例えばAさんは台所で作品を書くことが多く、その度に妻からよく話かけられることを気にしていましたが、もうとらわれなくなりました。
 それはともかく、周囲の目が気になるのは、下手と思われたくない、上手く見せたいという気持ちがあるからです。
 書は自分がそのまま現れるのですから、ごまかしは一切ききません。どう繕っても自分以上にはなれません。今の自分にできる精一杯をただやり切っていきましょう。

 

気脈一貫


  一字を書くには、途中で筆をやすめて墨をつぐようなことをできるだけせぬこと。また一枚を書いてしまうまでは休まぬこと。それで気脈一貫したよいものにしようと思えば、練習を十分しておいて、いざ清書という時は、早朝の雑念のない時、または十分ゆったりした余裕のある時、うんと心を引きしめて一気呵成に書くのがよいのです。(丸山敏雄著『書道芸術』三十七~三十八頁)


(丸山敏雄著『書道芸術』37~38ページ)


 一字の途中で墨をつぐことがないようにしましょう。もし墨つぎをしないと一字がかすれて書けないとしたら、それは墨のつけ方に問題があります。
 また、一字の途中で鋒先を整えないとうまく書けない場合は、筆遣いに原因があることが多いです。いずれの場合も、書道講師に相談してください。
 一字書くごとに休んだりせず、数文字を続けて書いて、文字がかすれて来てから墨つぎをした方が味わいのある作品が書けます。
 また、一枚を書き切るまでは休まないでください。一枚の途中で席を立って、また戻ってきてから続きを書いても、気分が途切れてしまい、気脈一貫の書にはなりません。
 みなさんは清書や作品作りはいつされていますでしょうか。例えば、休日家で書く方もいるでしょう。書く時間は確保できても、その後大事な用事がある日は、普通作品作りはできません。「十分ゆったりした余裕のある時」に書きましょう。
 「筆を持つ時間がない」という人がいますが、本当でしょうか。時間は作るものです。敏雄の日記を見ると、どうしてこれだけのことが一日の内にできるのかと驚くばかりですが、その一方で潤い豊かな作品も数多く書き遺しています。
 私たちも作品作りの時間を確保し、その時ばかりは書道だけに没頭し、一気呵成に書き上げましょう。

 

古法に則る

 「画は自由に新領域の開拓もできるが、書は一点一画ことごとく古法に則(のっと)ってやらねばならぬのは馬鹿馬鹿しい。進歩の余地は無いではないか。」という声はよく聞くことですが、これは全く芸術の真意義を知らぬ人の言葉です。お能のごときも、その一挙手一投足、皆きっちりと定まって寸分も馳(ち)背(はい)することを許しません。しかも、その深さは無限であり、その進歩には限りがありません。この点において書道は、お能と好一対の最も徹底した象徴芸術であります。

(丸山敏雄著『書道芸術』49~50ページ)
 


 書道は、まず基本筆法を学ぶことから始まります。特に秋津書道会は、基本筆法を重視し、『秋津書道テキスト 入門解説篇』には懇切丁寧な解説が載っており必須のテキストです。  
 初心者の中には、基本筆法がなかなか進まないと感じる方もいるでしょう。しかし、ここが一番大事です。焦らず、じっくりと取り組むことが、結局は上達への近道となります。
 一点一画ことごとく古法に則る。すなわち、型が定まっているということは、先人の切り開いた道を、倦まずたゆまず歩むことでもあります。
 その道を信じて進めば、必ず目指すところへ近づくことができる。これは、とてもありがたいことです。
 古法に則るためには、まず手本をよく見ることです。見えるようになった分だけ、己の書もまた深まっていきます。
 「払い」一つとっても、限りなく深めてゆけるのですから、飽きるどころか、書道がますます楽しくなっていきます。
 以前より手本の細部が見えるようになった、筆遣いが巧みになった――その小さな進歩こそ、大きな喜びです。書道は、そのような達成感を、私たちに次から次へと味わわせてくれます。
 これからも、書道の汲めども尽きぬ喜びを、ますます深めていきましょう。
 

 

 

一貫不断

 私は、芸術においても学問においても、天才ということにはあまり関心を持ち得ないものです。山陽先生も申されました、「自分を天才なりという人はまだ我を知らざるもの、よく刻苦するというものこそ真に我を知るものだ」と。世の中には、よく刻苦勉励する人のみが、終に、芸術最高の妙境に入り、幽玄絶妙の奥堂に至るものです。しかもその努力が、一時的で、間歇(かんけつ)的であってはならぬのです。一貫不断、たゆまず、うまず、前進また前進、倒れては起き、まろびてはまた立って、進んで止まぬもののみが、所期の目標に達することができるのです。

(丸山敏雄著『書道芸術』71ページ)

 


  「天才」と聞くと、生まれながらに天賦の才を授かった、自分とは縁遠い存在と考えてしまいがちです。
 しかし、頼山陽の言葉や、エジソンの「天才とは一%のひらめきと九十九%の努力である」を思い起こす人も多いのではないでしょうか。
 もし努力を積み重ねることで高みに到達できるのであれば、その道は私たちにも開かれています。
 敏雄は、「努力がすべてである」「努力する人だけが天才になれる。努力とは『反復』である。反復は一切を生む、一切を成就させる」「『一日一回』、これは上達の秘法である」とも述べています。
 秋津書道では言うまでもなく「練習は必ず一日に一度」を大切にしています。皆さんはいかがでしょうか。
 毎日筆を持とうと思っていても続かないことがあります。しかし、また始めればよいのです。
 まさに七転び八起きです。赤ん坊が何度転んでもあきらめないからこそ、やがて立ち、歩けるようになるのと同じです。
 そして、毎日筆を持つためには、習慣にすることが一番です。自分に都合の良い時間に書くことを習慣にすれば、毎日歯を磨いているように、気負わなくとも毎日筆を持てるようになります。
 せっかく書道の道を志した私たちです。目標の達成に向けて、一歩一歩努力していきましょう。