RINCOM

【特集】読者ショートエッセイ「私と新世」

【特集】読者ショートエッセイ「私と新世」

『新世』に対する思い、心に残る出来事、大切な思い出─。
本誌5月号で募集したショートエッセイには、全国から67作品が寄せられました。
ご応募くださった皆さまに、心より御礼申し上げます。
どの作品にも『新世』へのさまざまな思いが込められており、選考は難航しました。
その中から厳選した8作品を掲載します。
どうぞ、それぞれの言葉が紡ぐ『新世』の物語をお楽しみください。

【母ちゃんありがとう】 鹿児島県 俵積田たまみ(68歳)

 昭和59年が明けた頃の話です。26歳の私は2歳と1歳の母で、3人目を身ごもっていました。
 母から「よか本があるヨー!!」と興奮した声で渡されたのが『新世』(昭和58年6月号)でした。当時、両親が経営するお菓子屋に上品な装いの奥さま方が数名入ってこられ、『新世』を紹介されたそうです。そして手に取り、ページをめくった母は「嫁いだ4人の娘たちにも」と5冊買い求めたそうです。初めて読んだ体験記は、心が変わったことで病もよくなった実践報告が載っていました。若かりし私は、それを素直に受け入れられませんでした。しかし今では本当に心が第一だと痛感しています。
 あれから四十数年が経ち、3人の子供たちはそれぞれ家庭を持ち、タンカー船の船長だった夫は無事定年退職し、8人の孫と、にぎやかになりました。母は今年99歳になりました。今でも「『新世』を読みたぁーい」と届くのを心待ちにしています。そして68歳にもなった私に「朝起きが一番じゃっど」と背中を押してくれています。
 あの時にもらった『新世』を久しぶりに手に取ると誌面はすっかり飴色に変色し、過ぎ去った時間が刻まれたことを物語っていました。母ちゃん、あの日、私たちの分まで『新世』を買ってくれてありがとう。そしてあの日、『新世』を紹介してくださった奥さま方に感謝です。ありがとう。

【夫の背中を流して】 静岡県 秋山富美子(81歳)

『新世』を売りに来た。一冊150円、〈宗教の本に決まっている〉と思いつつも気の毒になって買う。
 夜、何気なく読む。その中にあった体験記に目がとまった。その内容は次のようなものだった。
 寒い地方で、日曜日に講演会があり、ある女性のもとにチケットを売りに来た。残り一枚で、土曜日の夕暮れ時。女性は気の毒に思って買ってあげた。その女性は、月曜日には離婚届を出すのが決まっていて、何の期待もなく講演会を聞きに行った。
 その夜、女性は〈もうこれで終わりだから〉と風呂に入っていた夫の背中を流してあげた。
 すると、夫は女性の手を握り、「こんな日を待っていたんだ」と言って2人で手を取り合って泣いた。その後、仲のよい夫婦となったという話だった。
 私は体験記を読み、なぜかポロポロと涙が出た。〈我が家は仲良しだけど……〉と思いつつも、かつて両親が毎晩のように喧嘩する姿が浮かんだ。父も母も愛情の伝え方が分からなかったんだと思えた。
 私もやってみようと夫が風呂に入ると行こうとするが、なかなかできない。3日後、ようやく「お父さん、あっち向いてくれる」とぶっきらぼうに言って背中を流した。ただそれだけなのに心がふわっと温かくなり、「いろいろ我慢させてごめんね」「いつも一緒にいてくれてありがとう」と何とも言えない気持ちになった。手をつなぎ、ハグもできた。
 すると、今まで嫌々していた家事が輝いて見え、洗濯や食事作りも〈何と素晴らしいことではないか!〉と思いが変わってきた。平凡のなんと幸せなことか。一冊の『新世』が人生を変えてくれた。

 

【家族をつないでくれた『新世』】 埼玉県 宇佐美美穂(40歳)

 2025年の秋、私には中1の長女、小5の次女、小3の息子がいて、夫は単身赴任中。ワンオペ育児に加えて、片道1時間半かけての通勤と多忙な日々を送っていました。やがて体を壊して緊急入院。退院後、母が貸してくれた『万人幸福の栞』の言葉が胸に刺さり、思い切って会社を休職することにしました。その後、『新世』も読むようになったのです。
 ある日、息子が『新世』を持って私の布団に入ってきて「これ読んで」と言います。それは昔話のコーナーでした。また、違う日には「島めぐり」を読んで、「ここに行ってみたいね」と話してくれました。そんな中、息子が「ママはいつも忙しそうで、『また後でね』と言ってお話ししてくれなかったから、ずっとさびしかった」と話してくれたのです。
 いま思えば、仕事で忙しかった頃の私は本を読んであげることはもちろん、話を聞いてあげることもできていませんでした。我が家には子供向けの本もたくさんありますが、なぜ息子は『新世』を選んだのか? きっと熟読する私の姿を見て、「これなら一緒に読んでくれるかも」と考えたのでしょう。
 ある時は次女が描いた絵を子供イラストへ応募したところ、2026年5月号の目次ページに掲載されました。それを家族みんなで見ながら喜べたことは、私たちにとって心温まる思い出の一つになりました。家庭倫理の会に入会してまだ日の浅い私ですが、家族の絆を繋いでくれた『新世』に心より感謝しております。

【「35回目」の登場に】 福岡県 山中三枝子(74歳)

 私は純粋倫理を学べたことと、素晴らしい『新世』との出会いに心から感謝しています。
『新世』に出会ったのは28歳の時です。幼い我が子が入院した際、隣部屋の方から「この本はよか本やけん読まんね」と『新世』をいただき、それから倫理運動に参加するようになりました。子供の病が純粋倫理を学ぶきっかけとなり、私はよい方向に導かれ、今も明るく、幸せに暮らせているのです。
 さて、私は『新世』を読むのが毎月楽しみです。2007年の初めての投稿を皮切りに、家族の思い出写真、音楽リクエスト、郷土料理、特集の読者エピソード、短歌など延べ34回も採用していただきました。どれも思い出深いのですが、中でも大切に大切に読み返しているのが、2014年8月号に掲載された「8にちなんだエッセイ(新世八百号記念企画)」です。そこでは、88歳で天寿を全うした亡き舅(ちち)の盆栽「暮(くれ)の雪(ゆき)」について書きました。盆栽の献上返礼品として舅が秋篠宮家より頂戴した「菊の御紋」の金杯は今もキラキラと輝いています。
 今回は、今日までの感謝を綴ろうとペンを執りました。私は今もおたよりコーナーへの投稿を楽しみにしています。紙の『新世』の本が発行されなくなりますが、デジタル版もまた、楽しみにしています。
 来る10月3日に私たちは金婚式を迎えます。『新世』と共に結婚生活を歩めて感謝でいっぱいです。

【父からの賜物】 熊本県 池澤千恵子(57歳)

 3年前、私の体験を『新世』の「実践の軌跡」に載せていただく機会がありました。原稿を書き、研究員とやり取りを重ねるうちに、文章は大きく削られていきました。しかし、不思議と内容は失われておらず、自分で気づいていなかった心の輪郭がくっきりと浮かび上がるようでした。記憶の父は酒に酔っている姿ばかりでしたが、本当は父も私たち家族を幸せにしたいと願っていたのだと気づきました。
 令和5年4月号に掲載された私の体験は、「大好きになった亡き父への感謝が、私の働きの原動力」とタイトルがついていました。正直、「大好き」と言い切ることにためらいがありました。しかし、この『新世』がきっかけで、倫理法人会で講話をする機会も増え、私の気持ちは動いていきました。
 あれから3年。少しずつ父を許し、感謝するようになり、今では心から「大好き」と言えるようになりました。あのタイトルに心が追いついたのです。
〈父親として何もしてくれなかった〉、そう思っていましたが、今は〈何かをしてくれたから親なのではない〉と感じています。自分の足で立つ、自分の道を自分で切り開く――。私は父のお陰で生きる強さを身に着けたのです。そして父は、私に憎しみだけでなく、許すこと、愛することも教えてくれました。
 形はなくとも私は父からすでにたくさんの賜物を受け取っていたのです。本当に大切なものは目に見えません。だからこそ、それに触れるために、これからも『新世』を読んでいきたいと思います。

 

【ご縁をつないだ70年】 奈良県 西川友廣(83歳)

 私が熊本に住んでいた中学3年の夏休み、親戚の店を手伝っていた時のことです。おばさんから「この本、とてもいいから読んでみて」と手渡された一冊の本。それが『新世』との出会いでした。
 読後、「なんて素晴らしい本なんだ」と深く感動したことを今でも鮮明に覚えています。それからすぐに電話をして購読を始め、年間購読なら送料が無料になるため、貯めたバイト代から支払いました。それからおよそ70年、『新世』を読み続けています。
 その後、大阪へ就職し派出所で場所を尋ね、「朝の集い」の会場を教えてもらい、参加するようになりました。そして、当時の会の委員長さんよりご縁をいただいて妻と出会い、結婚しました。
「いつか自分の住む地域に会場をつくりたい」「地域の方に、この素晴らしい学びを一人でも多く伝えたい」、その思いを胸に、妻とともに会場を開設しました。そこでは、会員の皆さまの素晴らしい体験に触れながら、「人の喜びを我が喜びとする」という学びを深めることができました。
 一冊の『新世』との出会いをきっかけに、活動を70年続ける中で、多くの方々と出会い、支えられ、助けられてきました。本当に幸せな人生です。これからも実践を重ね、『新世』とともに歩んでいきます。このご縁に心から感謝しています。

【一生の思い出と宝】 埼玉県 岩﨑千栄子(79歳)

 私が『新世』を手にしたのは20歳の頃でした。お花の先生から「素晴らしい本ですよ。お役に立ちますよ」と渡されたのがきっかけです。当初はパラパラと見るだけで終わりました。しかし、職場での人間関係や夫婦関係、子育ての問題に悩み、『新世』を真剣に読み始めるようになりました。
 体験記や研究員のエッセイを自分と照らし合わせて、時には泣いたり感動したりしながら読み進めるうちに、『新世』は私にとって人生の羅針盤、道しるべとなりました。子供たちが幼い頃には、添い寝をしながら昔話を読み聞かせたり、読者投稿やプレゼント応募など、『新世』は私の生活の一部となっていました。そうした中、2014年に「丸山敏雄誕生百二十年記念ブックフェア」で私が書いた読後エッセイが入選し、額入りの賞状が届いた時には、驚きと感動で天にも昇るようでした。
 私は一冊の『新世』と出会って五十数年にわたり人生が変わり、物の見方や人との接し方など多くのことを学びました。今は独り身となりましたが、『新世』のおかげで明るく元気に過ごし、人との交流を持ちながら学ぶことの大切さを今も感じています。
『新世』とともに歩んできた日々は、一生の思い出であり、宝です。

【『新世』は生きている】 東京都 山﨑久美子(64歳)

 4年前の私の体験です。私は予(かね)てより古い『新世』を読んでいます。理由は二つあります。一つ目は、戦後まもなく倫理運動に加わった亡父の気持ちを知りたかったからです。頑なな父の心を動かしたものは何だったのか。二つ目は、古き良き時代の『新世』から学びを発掘し、家庭倫理の会のために役立てたいと思ったからです。
 古書販売のホームページを幾度も検索しましたが古い『新世』にはなかなか巡り合えません。ところがある時、石川県金沢市の古書店で昭和37年の7月号、8月号を見つけました。私の生まれ年の『新世』でもあり、ご縁も感じて取り寄せました。
 手もとに届いた『新世』は四コマ漫画、映画情報、体験報告を元にした小説など、今とは違う時代を感じました。古書のため、当時の販売金額よりも高く、土地転がしならぬ「『新世』転がし」です。
 ページをめくっていると、後ろに別の古書店のタグが貼られているのに気づきました。そこに記されていたのは、東京都世田谷区にある、3年前に閉店した私の近所の古書店の名前と住所だったのです。
 この2冊の『新世』は、世田谷区から金沢市へ渡り、再び世田谷区の会員の元へ戻ってきてくれたのです。私がふと古書販売のホームページを検索したくなったのも、『新世』が「ここにいるよ。購入して皆で見て」と教えてくれたような気がしました。
 一つ目の目標の「亡父の気持ちを知る」ことはまだ先の宿題ですが、二つ目の「『新世』からいいものを発掘し、会のために役立てる」はさっそく実行でき、おかげで楽しく学ぶ機会をいただきました。
『万人幸福の栞』第十一条には「物はこれを愛する人によって産み出され、これを大切にする人のために働き、これを生かす人に集まってくる。すべて生きているからである」とあります。時代と形は変わっても創始者の願いと読者の思いは変わりません。そして今後も『新世』は生きていくのだと思います。
2026年9月号