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辛い思いをありのままに打ち明けて

辛い思いをありのままに打ち明けて

倫理研究所が提唱する純粋倫理(生活法則)。それを生活に活かすべく実践に取り組んだ会員手記です。今月号では、次男との突然の別れを経験し、受け入れがたい現実と向き合うために実践に取り組んだ玉那覇さんの軌跡を紹介します。

 私は沖縄県那覇市でタクシー乗務員をしています。現在、3年前に再婚した妻と二人で暮らしており、長男は県内に、長女は千葉県におります。

 次男は今から4年前に亡くなりました。亡き次男と向き合う中で、私はさまざまなことに気づかされたのです。

病気の次男と向き合う

 15年前、次男が26歳の時のことです。スポーツ用品店の会社員だった次男が車で信号待ちをしていると、突然意識を失ってしまいました。信号が青になっても車が動かないため、後続車の運転手が様子を見にいったところ、意識がなかったそうです。すぐに救急車が呼ばれ、病院へ搬送されたのです。

 その後、県内の大きな病院で診てもらったところ、少し前に風邪をこじらせたのが原因でヘルペス脳炎を発症していることが判明しました。更に、合併症によるてんかん発作を起こし、意識がなくなったことが分かったのです。

 次男は病院でリハビリなどの療養生活を送った後に退院しました。しかし、その後も記憶障害や幻覚、幻聴などの症状が起こり、次第に働く意欲をなくした次男は自暴自棄になって、遂にはパチンコなどのギャンブルに依存しはじめたのです。その後、てんかんを何度も起こし、20回ほど救急車のお世話になりました。

 当時は次男が救急搬送される度に、私に連絡が来ました。しかし、私は職場の寮で生活していて、すぐには対応ができなかったため、次男には一旦、私の母と住んでもらうことにしたのです。

 次男のことで悩んでいた時に、同じ職場の同僚から勧められたのが家庭倫理の会でした。「親と子は見えない通路で繋がっている」ということを会員のNさんから聞いた私は、彼女の勧めもあって、次男に1日1枚のはがきを毎日送る、一日通信を実践することにしました。はがきに「働くと健康になるよ」など、家庭倫理の会で学んだ純粋倫理の言葉を書きました。すると、次男はアルバイトを始められるまでに状態が回復したのです。

 その後、次男が東京の専門病院で診てもらう関係で、私は東京で八畳一間のアパートを借り、次男と一緒に住み始めました。私はタクシー乗務員をしつつ、倫理の勉強を続け、次男もアルバイトをしながら、毎年開催されていた「家庭倫理講演会」に参加するようになりました。

突然の別れと決意

 その後、次男は沖縄の会社に就職し、一人暮らしを始めました。私も沖縄に戻ってタクシー乗務員として働きながら家庭倫理の会の活動に参加しました。

 そんな中、通勤途中のバス停で次男が倒れたとの連絡が救急隊員から私の携帯に入りました。すぐに私は、バス停に迎えに行き、次男を一人住まいのアパートに送り届けた後に、そのまま仕事に戻りました。その日もいつものことだと思っていたのです。

 仕事が夜遅くに終わったので、翌朝次男に「今日も仕事に行くなら車で送るよ」とメールをしましたが、既読になりません。不安に思っていると、その日の夜8時頃に、那覇警察署から突然「息子さんが亡くなったので、署で預かっています」と連絡がありました。私は驚きで頭が真っ白になり、どうやって運転したかもわからない状態のまま警察署へ行きました。

 警察の方いわく、次男の勤め先の店長が、無断欠勤で休んでいるのが気になってアパートを訪ねたところ、ドアが開いていたそうです。中に入ってみると、そこには既に亡くなった次男がおり、慌てて救急車と警察を呼んでくださったとのことでした。

 その話を聞いて私は自分を責めました。〈何故あの時、次男を病院へ連れて行かなかったんだろう。病院で緊急手術をしたら助かっていたかもしれないのに〉。それからも毎日毎日、自分自身を責め続け、現実となかなか向き合うことができなかった私は、会社に行くことすらできませんでした。思えば、それまでの私は苦しいことに直面するといつも逃げてばかりいたのです。

 しかし、次男の亡くなる10日前に「生活倫理相談士」の資格認定講座を東京で受けたばかりだった私は、その時に聞いた「苦難観」の話を思い出したのです。
「苦難から逃げない」、「真正面から向き合う」という言葉が心に浮かび、逃げ出さずに踏みとどまることができました。

 2日後、どうしていいかわからない中、私は生活倫理相談を受けることにしました。生活倫理相談士はじっと私の話を聴いて下さいました。〈アパートの部屋でひとり寂しくあの世へ逝ってしまわせた。早く息子のところに行きたい〉という心の痛みや悲しみ、〈ギャンブル依存症がよくなって大好きなスーツを販売する会社で働き始めたばかりなのに……。あの時、次男を送って仕事に戻らずそばにいたなら〉という後悔を全部吐き出しました。すると心がスッと軽くなったのです。そして、〈もう過去を悔やみ、心配をするのはやめよう。今日一日一日を大切に生きよう〉と思い至り、涙がとめどなくあふれ続けました。

 その後、おはよう倫理塾へ毎日通い、私の話を家庭倫理の会の会友の皆さんに聴いてもらうことで、心は少しずつ癒やされていきました。そして、会社へも行けるようになったのです。

 私は、次男の死をそのまま受け入れ、目の前にある仕事と倫理活動を一所懸命行なおうと心に決めたのです。

墓前で手を合わせる

 当時、私には一つの悩みがありました。それは次男のお墓のことです。

 経済的な理由で、まだお墓に入れていない次男に、私は「一周忌か三回忌までには、必ずお墓を買うからね」とひそかに誓いを立てていたのです。お墓のパンフレットを取り寄せては読み、霊園の見学案内のチラシを机の前に貼って、毎日祈っていました。

 1月に次男が亡くなってから約半年後の7月10日、私の誕生日に急に妹から連絡があり、兄の家に呼ばれました。その内容は、実家の土地を売ったので私にそのお金を渡すとのことでした。実家から思いがけずお墓を購入する資金が入ったのです。

 すぐ休みの日に霊園の見学に行き、その場でお墓代と年間管理料を支払い、無事納骨ができました。

 お墓へは、次男の月命日の24日に毎月行っています。墓前で次男と話し、近況を報告すると心が落ち着きます。ある日、次男の墓前に向かって〈何が供養になるだろうか〉と考えていると、「大切なことは、後悔して生きるのではなく、自分が幸せになることだよ」と次男が言っているように感じたのです。天国の次男は私が墓参しているのを喜び、きっと今も応援してくれていると思います。

 日頃から私を支えてくれている妻や倫理の仲間のつながりに感謝しています。これからも今の仕事を喜んで働くと共に、この素晴らしい純粋倫理の学びを多くの人に伝えていきます。


実践のポイント

 玉那覇さんは、息子さんが突然亡くなるという事態に直面し、想像を絶する苦しみと悲しみを味わいました。

 しかし、亡くなる10日前に受けた認定講座で学んだ「苦難から逃げない」「真正面から向き合う」という言葉を思い出し、現実と向き合う決意をしました。

 その後、玉那覇さんは生活倫理相談で深い悲しみや苦しみ、後悔といった自身の気持ちをすなおに吐露しました。辛い心中を打ち明けることで、心の状態が少しずつ変わり始めたのです。

 更に、おはよう倫理塾に毎日通い、会友に苦しい胸の内を聴いてもらうことも心の癒やしにつながっています。通うという行為自体が習慣的に体を動かすことになり、体と共に心の状態もよくなったことで、悲しみの中でも事実をありのままに受け入れることができたのです。

 その後、導かれるようにしてお墓を建立できた玉那覇さん。墓参を通じて息子さんと向き合う中で、〈大切なことは、後悔して生きるのではなく自分が幸せになること〉だと思い至りました。

 誰しも辛い出来事に直面することはありますが、その際にどういった行動をとるのかが自身の心の状態やその後の境遇を左右するのだといえます。

 玉那覇さんは〈息子をはじめとした多くの方々に支えられている〉という感謝を未来に向かって歩む力に変えることで、今後もますます活躍されることでしょう。

(倫理研究所研究員 中村 学)