倫理文化研究センター
専門研究員 松本亜紀
今年、令和8(2026)年は丙午(ひのえうま)の年にあたります。丙午とは十干十二支の組み合わせの一つで、六十年に一度巡ってくる年のことです。
かつて「丙午生まれの女性は気が強く、夫の命を縮める」という言い伝えが広まり、この年に女児を産むことを忌避する風潮があったことをご存じでしょうか。その影響が最も顕著に現われたのは、昭和41(1966)年のことです。この年、日本の出生数は約136万人でした。前の年は約182万人でしたから、46万人余り減少したことになります。迷信が人々の出産という選択を変えた、これは歴史的な事実です。
ではこの言い伝えに、根拠はあったのでしょうか。起源を辿ると、江戸時代の「八百屋お七」という物語に行き着きます。天和の大火(1682年)で焼け出された八百屋の娘お七は、避難先の寺で出会った若者に恋をし、「もう一度火事になれば会える」と放火に及び、火あぶりの極刑に処されました。この悲話が歌舞伎や人形浄瑠璃の人気演目となる中で、のちにお七は「丙午生まれ」と設定され、この創作上の脚色が、もともとあった「丙午の年は火事が多い」という既存の言い伝えと結びつき、「丙午生まれの女性は危険だ」というイメージが広まっていきました。根拠のない物語が実在の人々の人生を左右したのです。
かつて「丙午生まれの女性は気が強く、夫の命を縮める」という言い伝えが広まり、この年に女児を産むことを忌避する風潮があったことをご存じでしょうか。その影響が最も顕著に現われたのは、昭和41(1966)年のことです。この年、日本の出生数は約136万人でした。前の年は約182万人でしたから、46万人余り減少したことになります。迷信が人々の出産という選択を変えた、これは歴史的な事実です。
ではこの言い伝えに、根拠はあったのでしょうか。起源を辿ると、江戸時代の「八百屋お七」という物語に行き着きます。天和の大火(1682年)で焼け出された八百屋の娘お七は、避難先の寺で出会った若者に恋をし、「もう一度火事になれば会える」と放火に及び、火あぶりの極刑に処されました。この悲話が歌舞伎や人形浄瑠璃の人気演目となる中で、のちにお七は「丙午生まれ」と設定され、この創作上の脚色が、もともとあった「丙午の年は火事が多い」という既存の言い伝えと結びつき、「丙午生まれの女性は危険だ」というイメージが広まっていきました。根拠のない物語が実在の人々の人生を左右したのです。
噂は「事実」より速く走る
民俗学を専門とする私の立場から見ると、この現象には噂や言い伝えが広まる時に必ず働く、同じ仕組みがあります。
お七の物語は舞台で繰り返し上演されることで人々の心に深く刻まれ、祖母から母へ、母から娘へと語り継がれるうちに、物語の由来は忘
れられ、「丙午の女は怖い」という印象だけが残っていきます。
さらに丙午は、ちょうど一世代が老いていく六十年周期で巡ってきます。前の丙午を覚えている年長者が「若い人は知らないかもしれない
が、そういえばね……」と語り出すたびに、消えかけた言い伝えが再び息を吹き返す。こうして丙午は、忘れた頃に絶妙な周期で次の世代へと受け渡されてきたのです。
昭和41年に「今年は産まない」と決めた親たちが、冷静さを欠いていたわけではありません。情報が正しいかどうかよりも、そう信じられている社会の中で娘が生きていくことへの不安が、行動を決めたのでしょう。そう考えると、迷信を信じた人たちを笑うことなど、とてもできません。
噂が人々の行動を変えるのは、今に始まったことではありません。1973年のオイルショックの際、「トイレットペーパーがなくなる」という噂が広まり、スーパーの棚から一夜にして商品が消えました。噂が買い占めを生み、その行動が本当の品不足を招いた。SNS時代の今は、その速度がかつてとは比べものにならないほど速くなっています。情報の真偽よりも、「みんながそう言っている」という感覚が、人々を動かすのです。
お七の物語は舞台で繰り返し上演されることで人々の心に深く刻まれ、祖母から母へ、母から娘へと語り継がれるうちに、物語の由来は忘
れられ、「丙午の女は怖い」という印象だけが残っていきます。
さらに丙午は、ちょうど一世代が老いていく六十年周期で巡ってきます。前の丙午を覚えている年長者が「若い人は知らないかもしれない
が、そういえばね……」と語り出すたびに、消えかけた言い伝えが再び息を吹き返す。こうして丙午は、忘れた頃に絶妙な周期で次の世代へと受け渡されてきたのです。
昭和41年に「今年は産まない」と決めた親たちが、冷静さを欠いていたわけではありません。情報が正しいかどうかよりも、そう信じられている社会の中で娘が生きていくことへの不安が、行動を決めたのでしょう。そう考えると、迷信を信じた人たちを笑うことなど、とてもできません。
噂が人々の行動を変えるのは、今に始まったことではありません。1973年のオイルショックの際、「トイレットペーパーがなくなる」という噂が広まり、スーパーの棚から一夜にして商品が消えました。噂が買い占めを生み、その行動が本当の品不足を招いた。SNS時代の今は、その速度がかつてとは比べものにならないほど速くなっています。情報の真偽よりも、「みんながそう言っている」という感覚が、人々を動かすのです。
判断の根拠は自分の中に
本誌発行元の一般社団法人倫理研究所の創立者である丸山敏雄(1892~1951)は、こうした状況を「俗信」と「合理迷信」の二層で捉え直しています。一つは方角や年回りといった素朴な俗信。「北枕で寝てはいけない」「仏滅に結婚式を挙げるな」といった言い伝えがここに入ります。
もう一つは、科学や理論の名を借りて自分の都合に合う理屈を組み立て、それに従う「合理迷信」です。丸山は後者について、「学問といえば、世の人々は一も二もなく頭を下げる」という根拠のない思い込みこそ、近代人の陥りやすい罠だと批判しました。俗信が「年」や「方角」に判断を委ねるとすれば、合理迷信は「統計」や「データ」に判断を委ねます。
たとえば2019年、金融庁の審議会が公表したレポートに「年金だけでは不足し、老後に約二千万円の資金が必要になる」という試算が含まれていたことが大きな話題になりました。試算自体はあくまで、特定のモデル世帯に基づく一つの数字でしたが、「老後二千万円問題」という語りはあっという間に広まり、人々の不安を大きく刺激したのです。一つの統計的試算が、丙午さながらに人々の判断を動かした構造は、現代の「合理迷信」の典型例と言えるでしょう。
身近な例では、血液型性格判断もそのひとつです。「A型は几帳面」「B型は自己中心的」など、科学的な根拠はないとされながらも、その印象で相手を見てしまうことがあります。これも丸山が言う「合理迷信」の一例です。
では、私たちは何を拠り所に判断すればよいのでしょうか。丸山は著書『万人幸福の栞』の中で、「日の吉凶(よしあし)というような、迷信にかかわる人は気の毒である」「黒にするか白にするか、それは己自身にある」と述べています。判断の根拠は自分の内側にある、ということです。さらに丸山は「『気づいた時、気がるに、喜んでさっと処理する。』『気づくと同時に行なう。』――これは成功の秘訣、健康の秘法である」と続け、「思い立つ日が最上吉日である」と結んでいます。これは単なる楽観論でも精神論でもありません。不安を年回りや統計に預けず、今・ここにある選択を自分が引き受けるという、生活の構えです。気づいたことを即行動に移す。その積み重ねの中に、判断の根拠を見つけていくのです。
六十年前の丙午に生まれた人たちは、自分では変えようのない生まれ年を理由に、縁談を断られた人もいたと聞きます。フィクションの中の設定が、実在の人々の人生を左右した。六十年ぶりに巡ってきた丙午の年は、私たちが何を信じ、何を根拠に判断しているのかを、静かに見つめ直すよい機会なのかもしれません。
もう一つは、科学や理論の名を借りて自分の都合に合う理屈を組み立て、それに従う「合理迷信」です。丸山は後者について、「学問といえば、世の人々は一も二もなく頭を下げる」という根拠のない思い込みこそ、近代人の陥りやすい罠だと批判しました。俗信が「年」や「方角」に判断を委ねるとすれば、合理迷信は「統計」や「データ」に判断を委ねます。
たとえば2019年、金融庁の審議会が公表したレポートに「年金だけでは不足し、老後に約二千万円の資金が必要になる」という試算が含まれていたことが大きな話題になりました。試算自体はあくまで、特定のモデル世帯に基づく一つの数字でしたが、「老後二千万円問題」という語りはあっという間に広まり、人々の不安を大きく刺激したのです。一つの統計的試算が、丙午さながらに人々の判断を動かした構造は、現代の「合理迷信」の典型例と言えるでしょう。
身近な例では、血液型性格判断もそのひとつです。「A型は几帳面」「B型は自己中心的」など、科学的な根拠はないとされながらも、その印象で相手を見てしまうことがあります。これも丸山が言う「合理迷信」の一例です。
では、私たちは何を拠り所に判断すればよいのでしょうか。丸山は著書『万人幸福の栞』の中で、「日の吉凶(よしあし)というような、迷信にかかわる人は気の毒である」「黒にするか白にするか、それは己自身にある」と述べています。判断の根拠は自分の内側にある、ということです。さらに丸山は「『気づいた時、気がるに、喜んでさっと処理する。』『気づくと同時に行なう。』――これは成功の秘訣、健康の秘法である」と続け、「思い立つ日が最上吉日である」と結んでいます。これは単なる楽観論でも精神論でもありません。不安を年回りや統計に預けず、今・ここにある選択を自分が引き受けるという、生活の構えです。気づいたことを即行動に移す。その積み重ねの中に、判断の根拠を見つけていくのです。
六十年前の丙午に生まれた人たちは、自分では変えようのない生まれ年を理由に、縁談を断られた人もいたと聞きます。フィクションの中の設定が、実在の人々の人生を左右した。六十年ぶりに巡ってきた丙午の年は、私たちが何を信じ、何を根拠に判断しているのかを、静かに見つめ直すよい機会なのかもしれません。
まつもと・あき●1975年、宮崎県出身。琉球大学法文学部卒業。同大学院人文社会科学研究科修士課程修了。津田塾大学大学院 国際関係学研究科修了。博士(国際関係学)。千葉大学・津田塾大学非常勤講師。倫理文化研究センター専門研究員。思春期保健相談士。