しきなみ編集部編
「われらは、何のために歌を詠むのか。いわゆる歌人になるためではない。人生の美しさを歌によって高らかにかなで、歌おうとするのである。生命(いのち)のよろこびを歌に託して、友に語り、同胞(はらから)に頒(わか)ちあおうとするのである」『作歌の書』11頁
掲載文は『作歌の書』の「作歌の目的」からの引用です。とてもシンプルでわかりやすい一文ですが、歌友にはいつも心に刻んで欲しい文章です。
歌人を目指して短歌を詠む人もいるでしょう。またある人は人生の苦しさから逃げるために短歌を詠むかも知れません。しかし私たちは「人生の美しさ」を詠むと書かれています。では反対に「人生の醜さ」とは何を指しているのでしょう。
毎日の暮らしの中では、嬉しいことや楽しいことばかりではありません。時には怒りや悲しみもあるでしょう。こうした感情は「人生の醜さ」と言えるかもしれません。しかしこのようなマイナスの感情も深く見つめて短歌に詠むことで「美」に転じます。実は人生には「醜さ」が一切無いことに気がつくでしょう。
私の兄は若くして亡くなりました。その時にたくさんの短歌を詠みました。最初は悲しいばかりの短歌でした。しかし兄の死は悲しいけれども、兄はもう苦しむことはないのだという短歌にたどり着きました。そして『万人幸福の栞』の「死は生なり」には「生は死の仮相であり、死は真の永遠の生である。」と書かれています。真の永遠の生の中で、兄に必ずまた会えると詠むと悲しくありません。悲しみは転じて「美」になるのです。人生は全て美だという事がわかってきます。別の言い方をすれば「万象悉美」(ばんしょうしつび・すべてのものは、ことごとく美しいこと)です。歌友にはこの自覚に立って歩んで欲しいと思います。
まだまだ短歌は苦手だという歌友は一つの歌材を何首も詠むことを心がけてみましょう。きっと「万象悉美」の世界が開けてくると思います。
さて、掲載文の続きです。「生命のよろこびを歌に託して」とあります。人生が美に溢れていると自覚をすれば、生きている事をよろこび、それを詠まずにいられないでしょう。
そうして自分自身が短歌によって幸せになったら、そのよろこびを歌に託して「友に語り、同胞に頒つ」のです。もしその友人が苦しい人生を歩んでいたら、「人生は全てがことごとく美しい」と短歌によって示してください。短歌を勧めて幸せに導いて欲しいと思います。(2019年『しきなみ』3月号掲載)
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